確執がある母親、過干渉な祖母、可哀想な父親、可愛がられる妹。それが私の家族だ。

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女性の悩み
ウサ
ウサ

こんにちは、ウサ(@usab1og)です!

私は、5人家族(両親、祖母、妹)の長女として生きています。

私の周りの友人は、とにかく「家族を大切にしている」人が多いです。

特に彼女たちが「母親を大切にしている」のを見ると、いつも

ウサ
ウサ

母の日にプレゼント…?!あげたくないわ〜

と違和感を覚えていました。

ええ、つまり、母親が大嫌いだったんですね。今はそうでもないですが、確執はガッツリ残っています。

両親揃っていて、祖母もいて、普通の家族に見られるような家族ですが、

かなり不健康な家族

の中で生きてきたと思っています。

この記事では、母親だけでなく、家族全員と自分との関係について掘り下げていきます。

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家族の中で唯一確執がある母親

私は確執があると思っていますし、かなり距離を置いていますが、母親はそのことに気がついていない気がします。

私の母親の簡単なプロフィール

  • 仕事はピアノの先生(実家に教室があり、そこで経営)
  • 2人姉妹の末っ子(お姉さんはいわゆる「できる人」で比較されてきたのでは?と思う)
  • 音大に行けなかったことがコンプレックス(本人は行かせてもらえなかったと言うが、母方の祖母は音大受験を許可したのに本人が短大を選んだと言う)
  • 金遣いが荒い
  • 人と比較するのが大好き
  • ちょっとぽっちゃり
  • いわゆる「女の子らしいもの」が好き(可愛い服やアクセサリー)
  • スポーツには興味がなく、音楽や絵やハンドメイドが好き
  • 母方の祖母とあまり仲が良くない
  • 父の悪口、祖母の悪口をすぐに言う
  • 父親とは学生時代からの仲で、長く付き合って結婚した

母親の趣味を押し付けられてきた

母親は「可愛いもの」が大好きです。

私は長女だったので、ずっと母親好みの可愛い服を着せられ、可愛い習い事をさせられていました。

思春期に入った時、母親好みの自分になるのが本当に嫌で、極端に男らしい服装や男らしい話し方をするようになりました。

自分の好きな服を着たい、という気持ちもあったのですが、それを言っても否定されるだけだったので、極端に男のような格好をして反発していたのを今でも覚えています。

ウサ
ウサ

大人になった今、自分に似合う服、自分が着たい服を許せるようになって、女性らしい服をたくさん着るようになりましたが、大学生までこの状況は続きました。

大学生の時に「心は男なの?」と聞かれたこともあるレベルです。

父親の悪口を聞かされてきた

悪口というか、愚痴?に近いかもしれませんが、父親がいない時に私に父の悪口をよく言ってきました。

母親
母親

パパはお酒を飲むと面倒だから嫌だ

というレベルから、もっと酷いものまで。

父親が可哀想だと思っていました。

常に、母親から「お金がない」と言われてきた

母親から、

うちのお金がないのはウサのせい

と言われてきました。ここまでストレートには言われないですが、同じ意味のことを言われました。

最初にしつこく言われたのは高校生の時

私は割と勉強はできる方だったので、きちんと大学を選べば国公立大学に行く力がありました。(実際は横浜国立大学を受験して不合格になっているので、偉そうに言えませんが笑。センター試験の点数や、日頃の模擬試験の判定は横浜国立大学に合格できるような判定でした。)

そのため、母親としては、「ウサは国公立大学に入るから、お金があまりかからないだろう」という思いだったようです。

結果として、前期試験に不合格だったので、中期・後期は受けずに、私立の津田塾大学に進学したいと母親にお願いしたところOKだったので、私立に進学しました。

ですが、

母親
母親

ウサが国公立に行けなかったから、お金がない

母親
母親

○○ちゃん(私の親友)はいい国公立大学に入って、お金がかからなくていいね

と大学生になってもずっと言われました。

大学生の時、東日本大震災が原因で追撃が来た

私が大学3年生の時、東日本大震災で父親の会社の本社が津波で流され、父親の収入が激減しました。

震災を境に、また母親から

母親
母親

お金がない

と言い聞かされていました。

元々家賃だけ支払ってもらっていて、その他の生活費はアルバイトで稼いでいたのですが、

ウサ
ウサ

留学したいけど、お金がないから無理だなぁ

ウサ
ウサ

卒業旅行は海外旅行に行く約束をしているけれど、家族は頼れないだろうから相当アルバイトしないといけないな

など、いろんなことを諦めたり、お金のためにかなり我慢して頑張ったりして来ました。

ウサ
ウサ

その結果、社会人になってから反動が来て、欲しいものを買いまくり、行きたいところに行きまくり、貯金ゼロの女になりました。(いまだに少ない)

ずっと他人と比較されてきた

ずっと他人と比較されてきました

きっと、母も母の姉と比べられて生きてきたんだと思います。だからそれしかできなかったのかなと思いました。(今になって、ですが)

勉強も、スポーツも、習い事も、何もかも、誰かと比べられてきました。

何かを頑張っても

母親
母親

でも○○さんのところの××ちゃんは〜

のような感じで、他人と比べられて褒めてもらえなかったり、

何かを頼んでも

母親
母親

でも○○さんのところの××ちゃんは〜

と他人を引き合いに出されて断られたりしました。

ウサ
ウサ

褒めてもらえた記憶があるのは、小学生の時に、予備校の全国模試で全国1桁の順位を取った時です。私の通っていた予備校では当然ダントツの1位だったので、比べる相手がいなかったのです。

あとは、全校合唱の伴奏者のオーディションに合格した時です。これも1人しか選ばれないので比べる相手がいませんでした。

その結果、私は「超負けず嫌い」になりました。笑

幸いなことに、そこまでポテンシャルが低いわけではなかったので、他人との比較・競争で病んでしまうことはありませんでした。(たいてい勝ってしまうので、むしろ気分が良かった)

ただ、社会人になってから出会った人たちに「なんでそんなに勝負にこだわるの?」とか「他人と比較・競争しすぎじゃない?」と言われて、自分が負けず嫌いで他人と比べ、競争しがちであることに気がつきました。

妹との差別があった

私には8歳歳下の妹がいます。(ずっと仲良し)

妹の簡単なプロフィールを載せると、

  • 私より8歳歳下
  • 大人しく、インドア派
  • 女の子らしいものが好き
  • マイペース
  • 少しぽっちゃり
  • 運動が苦手
  • 音楽が得意

と、いう、「ザ・母親の好み」です。

妹が生まれて、母が非常に嬉しそうでした。

母親の希望通りの服、希望通りの習い事、希望通りの〜を満たしてくれる妹が出現したからです。

妹に対する嫉妬なのかもしれませんが、私が今でもはっきり覚えている母とのやりとりが1つだけあって。

大学生の時のやりとりです。

大学についての母とのやりとり

上でも書いたように、私が大学受験をして大学生になった時は

母親
母親

ウサのせいでお金がない

と言い続けた母。私もそれなりに罪悪感を感じていました。

 

その後、妹が大学受験をする時が来ました。

妹は一般入試で国立大学を受験する学力がなく、推薦入試で受験をすることになりました。

結果として、妹は推薦入試に落ち、私立大学を受験することになったのですが、

母親
母親

妹ちゃんの好きなところを受けなさい。

と妹に言って、妹はかなりたくさんの大学を受けることになりました。

ウサ
ウサ

あれ?私の時は、私立は受験料が高いからセンター利用でしか受けるな、5校まで受けてもいいよと言っていたのに、妹はそんなにたくさん一般で受けるの・・・?お金かかるんじゃないの????

そして結果として、教育関係に携わっている人は知っているけれど、普通の人はあまり知らないという私立大学(教育関係者の私からしてみたら良い大学)に合格したのですが、

母親
母親

妹ちゃんすごい!受かってよかった〜頑張ってよかったね〜!

仕送りするからね!

し、仕送り・・・?

ウサ
ウサ

えっ?!私の時は仕送りなんてなかったぞ?

っていうかなぜ妹は褒められるんだ?

私は頑張っていなかったのか・・・?いや頑張ったぞ・・・?

こんな感じで、私はダメで、妹はOKということが、特にお金関係で多かったです。

妹には仕送りがあって、私にはない。

妹は自動車学校の代金を出してもらって、私にはない。

妹は家賃の高い部屋を借りて、私はやっすい部屋。

妹はバイトしないで生活をして、私はバイトに押し潰される生活。

妹は欲しいと言ったものをだいたい買ってもらえて、私は買ってもらえたとしても文句を言われる。

ずっとそんな感じでした。

ウサ
ウサ

しかしその妹も、母と叔母の見栄っ張り戦争に巻き込まれ、大変な思いをしました。

母からの愛情をいまだに感じたことがない

母親に関しては、本当に愛されている実感が1ミリも湧いたことがなくて、

ウサ
ウサ

妹は愛されているけれど、私は愛されていないよね。

いつも妹はなんでも許されて、私はなんでも文句を言われる。

それが結果だよね。

と言ったことがあります。それに対して、母が泣きながら

「違う!今まで大切にしてきた!」

みたいなことを言ったのですが、私の心には全然響いてこなくて。

でも、あぁこの人は私のことを一応愛しているつもりなんだな…と思ったことを覚えています。

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過干渉な祖母

私の両親は共働きで、私は幼い頃から母方の祖母に育ててもらいました。(父は婿です)

ですので、感謝していることが多いです。

ただ、父親が

父親
父親

おばあちゃんはなんでもやりすぎるのがよくないよね

と、ずーっと言い続けていて、最初はその意味が分からなかったのですが、年齢を重ねていくにつれてその意味がよく分かるようになったので

ウサ
ウサ

ああ祖母は過干渉だったんだ・・・

と気がつきました。

祖母の簡単なプロフィール

  • 2人姉妹の妹
  • もう90歳くらいになるが、その年代にしては珍しく、私立高校に通い、看護師の資格を持っている(そしてそれが祖母の自慢)
  • 優秀な看護師だったようで、その経験を生かして認知症の家族を支えるボランティア団体の会長を長年勤めている(これは本当にすごい。県や新聞社から表彰されまくっている)
  • なんでもできる優秀な祖父(私が生まれる前に亡くなってしまったので私は分からないが、みんなが口を揃えていうので間違いないはず)と結婚
  • スポーツが得意
  • 他人と比較するのが大好き
  • 学歴大好き
  • 祖母自身優秀でなんでもできるので、基本あまり人に頼らない感じがある
  • おそらく私の母親より叔母の方を好んでいる

父親と母親の悪口をずっと言っている

なぜこの家に住んでいるの?と言わんばかりに、私に対して、私の父親と母親の悪口をずっと行ってきます。(これは今でもそう)

祖母
祖母

ウサのお父さんは、本当に愛想がないよねぇ。叔父さん(母の姉の夫)はすごく愛想がよくて良いわぁ。

と何回言われたかわかりませんが、私はこの悪口が今でも1番嫌いです。

母親への悪口は、私自身も確かにそうだなと思うものが多いので、あまり気にならないのですが…。

出かけたり、電話をしたりするたびにいちいち干渉される

祖母
祖母

どこいくの?

祖母
祖母

誰と電話してたの?

これが毎日ですよ。伝わりにくいと思いますが、結構大変でした。

他にも、祖母が作った料理が出されるたびに、

祖母
祖母

美味しいでしょ?どう?

と必ず聞かれるのも、結構苦痛でした。

進路への干渉がすごかった

今思えば、私が教員になろうと思ったきっかけは祖母だったことを思い出しました。

幼稚園の頃から、

祖母
祖母

ウサは賢くてなんでもできるから、学校の先生になるんだよ。

○高校(地元のトップ高)に行って、静岡大学に入って、学校の先生になるのが1番。産休育休もしっかりしているからねぇ。

と中学生くらいまでずっと言い聞かされたのを思い出しました。すっかり忘れていました。

そして、大学受験で横浜国立大学に落ちて、後期で静岡大学を受けに行くかどうか(出願はしていた)考えていた時にこの言葉を思い出して、

ウサ
ウサ

受けに行ったら受かってしまう!

祖母に言われた通りの人生なんて嫌だ!受けに行かない!

となったことを思い出しました…。笑

他人と比較されてきた

本当に、祖母は母のお母さんなんだな、と思うレベルで、他人との比較が大好きです。

特に学歴。

私が友達や彼氏を家に連れてこようものなら、

高校時代は

祖母
祖母

あの子はどこの高校に通っているの?

大学時代は

祖母
祖母

あの子はどこの大学に通っているの?

社会人になってからは

祖母
祖母

あの子はどこの大学を出ているの?

と必ず確認し、学歴でその人のランク付をしていました。

また、母親と同様で、私の勉強や習い事、部活動については常に、

祖母
祖母

○○ちゃん(私の友達)は▲▲みたいだよ。

だからウサはもっと頑張らないとダメ

と言われました。懐かしい。笑

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可哀想な父親

父親は今でも私の救い的な存在です。

父親の簡単なプロフィール

  • 5人兄弟の末っ子で、お金のない家庭で育ち苦労した
  • 社会人になってから一級建築士を自分で取った
  • 建築関係の仕事をしている
  • 婿にきた
  • 運動が得意で、頭もいい(雑学王すぎてTVに出るべきだと何度も思った)
  • 几帳面
  • 我慢強くて、超溜め込む
  • 人見知り
  • 祖母や母から悪口を言われてかわいそう
  • お酒が好きで、お酒でストレス発散をしているように見えた

すごくいい父親であり、夫であると思っています。

母親からも祖母からも悪口を言われて、本当に可哀想でした。

一生懸命働いて、我慢して生きている父をみて、

ウサ
ウサ

私だけは父親の味方になろう

といつも父の味方につき、休日は父親の趣味にも付き合っていました。

こっそりと私にお金を渡しに来た

東京で一人暮らしをしているときに、私は仕送りもなく、アルバイト代で生活していたので、結構生活が困窮していました。

母が家計を握っていて、母にお金を送って欲しいと頼んでも送ってくれるわけがないと思っていたので、誰にも何も言わずに黙々とアルバイトをしていました。

ある日、父親が突然東京のアパートに来て、急にご飯を食べようということになったのです。

帰りがけに、これ少ないけどあげるよと言ってお金をくれました。

母親からお金について散々言われて、私立大学に入ったことを否定されて傷ついていた私は、この父の行動にすごく救われました。

ウサ
ウサ

父はお小遣い制だったので、お小遣いを貯めて、それを私にくれたのです。

この時は感動した。。。

私の友達や元夫に、私がいないところでお願いしてくれていた

私の親友たちや元夫を実家に連れて行くことが何度かありました。

その時に父も含めてみんなでご飯を食べることがあったのですが、

私が席を外すと

父親
父親

ウサは、ああ見えて弱いところがあって、人を頼ることができないんだ。

申し訳ないんだけど、困っている様子だったら声をかけてあげてほしい。

とお願いしていたそうです。(妹、親友談)

それを聞いて驚きを隠せませんでした。すごい、父。

離婚するかどうか悩んでいるときにずっと私の様子を気にしていた

私が離婚するかどうか悩んでいた2年間。

実家に帰って頭を冷やすことも何度かありました。

私は、ただ離婚すると思う、とだけ言って、何があったかは家族にも一切話していませんでした。

その時に父親は

父親
父親

きちんと夫くんと話をするんだよ。

ウサの素直な気持ちを伝えなよ。

父親
父親

もっと親を頼っていいんだよ。

でも早く自分の家に帰りなよ。

と何も言わない私に、ずーっと言い続けたのでした。(それでも私は何も言わなかった)

母親はやはりどこか他人事で特に何も聞いてこなかったのですが、父親はすごく私のことを気にしてくれていたなと思います。

父親からの愛情は感じられた

父親は、言葉には出さないものの、行動の節々から愛情が伝わってきたので、愛されているな〜と思っていました。

なんで父親は母親と結婚したんだろうな?なんて思うこともしばしば。

私が思っているほど、父親はかわいそうじゃなかったのかもしれませんが、やはりどこかでかわいそうだと思う自分がいます。

父親は本当にびっくりするほど我慢強いので、嫌なのか嫌じゃないのかわからないことが多いのです。

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可愛がられる妹

今でも割と仲良しの妹ですが、びっくりするくらい私と正反対です。

妹の簡単なプロフィール

上でも簡単に書きましたが、

  • 私より8歳歳下
  • 大人しく、インドア派
  • 女の子らしいものが好き
  • マイペース
  • 少しぽっちゃり
  • 運動が苦手
  • 音楽が得意

と、いう、「ザ・母親の好み」です。

この記事を書いていて感じましたが、私は妹を見下している節もあるのかもしれません。

妹は音楽以外では私を上回るものがないな〜と常々思っていました。

ウサ
ウサ

妹は人間関係が上手で、友達がたくさんいるので、そういうところを尊敬しています。本当に良い子なんです。

父親のパソコンの壁紙が妹に変わっていた時ショックすぎた

幼心ながら、

ウサ
ウサ

私は父親の味方!父親を守っている!

という自覚があった私。

小学2年生の時に妹が生まれ、その後父親のパソコンの壁紙が私の写真から、妹単体の写真に変わっていて大ショックを受けました。

ウサ
ウサ

お前は生まれてきただけだろー!!!!!!!

今でも記憶に残っているくらいなので、相当ショックだったんだと思います。

父親を取られてしまったと落ち込みました。

母親の人形になってくれてありがとうという感謝

母親は「ザ・女の子」という女の子が好きなので、母親の好みになりたくなかった私は必死に男のような格好をして、喋り方まで男のようにしていました。

それでも母親は私に「母親の趣味」を押し付けてきたので、嫌で嫌で仕方がありませんでした。

妹が生まれてからは、妹が母親のお人形に!(悪い言い方ですが)

幸い、妹自身の好みが母親の好みとかなり一致していたので、WIN-WINの関係になっていました。

そのおかげで私は難を逃れた、という思いがあります。

ウサ
ウサ

ありがとう、妹よ

私より幸せにならないでくれ、という漠然とした思いがある

妹は

私より家族から愛を受け取っていた(お金も受け取っていた笑)

と思っているので、

ウサ
ウサ

それで私より幸せになったら嫌だなぁ〜

というぼんやりした気持ちがあります。

強い気持ちではないので、幸せを邪魔しようとかそういう気持ちは湧いてこないのですが、心の片隅で祈っている自分がいるような気がします。

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家族には、こうして欲しかった

家族に対して思うのが、いろいろ事情はあったと思うけれど

  • 幼少期の習い事は、私がやりたいと思ったことをやらせて欲しかった
  • 私が好きな服を着させて欲しかった
  • 妹との扱いの差を露骨に出さないで欲しかった
  • 頑張ったことは褒めて欲しかった
  • 他人と比べないで欲しかった
  • お金について何度も責めないで欲しかった
  • 家族同士で悪口を言わないで欲しかった

というところですね。

キツかった。

 

父親が本当にいつも可哀想だった。今でもですが。

 

そして、やはり

「寂しかったなぁ」

と思います。

 

自分の好きなことをやらせてもらえない寂しさ。

頑張っても褒めてもらえない寂しさ。

他人と比べられて否定される寂しさ。

妹との扱いの差を感じる寂しさ。

いろんな寂しさがありました。

だから私は家族に対して、特に母に対して、怒りがあったのだと思います。

そして、その怒りをぶつけることができないから、嫌いになったのだと思います。

 

今は祖母とも距離を置いていて、父親と妹としか連絡をとっていません。

日本と海外という距離感が心地よいと感じるくらい、壁があるんですよね。

普通の家族だと思っていたけれど、そうではなかったなぁ。

ウサ
ウサ

自分、よく頑張ったな

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