8年間付き合って結婚した夫とたったの3年で離婚した話。

人間関係
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高校時代に付き合い始めた彼氏と、大恋愛して(8年間付き合って)、26歳で結婚、29歳で離婚した。周囲から見たら大恋愛の末の結婚はとても羨ましい状況なのではないかと思うが、結婚後から離婚を決意するまでの3年間は私にとっては壮絶な毎日だった。

毎日、離婚したくない、いや離婚した方がいい。の葛藤に苛まれ、離婚したくないなら関係改善を試みようだとか、今すぐ離婚して次に行った方がいいとか、四六時中考えていた。

似たような経験をした人が読んでくれるといいなと思い、記事にしてみることにした。

この記事は、ただの私の人生の振り返りになるので、ウサという人物がどういう人物なのかよく知ることができると思う。愚痴もたくさんあるかもしれない。あえて、自分の口調で書こうと思う。

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元夫のことは本当に好きだった、出会って良かったと思っている

出会いは高校で、理系の合同授業の時に見かけたのがきっかけ。

外見も性格も、頭の良さも、自分を好きでいてくれる所も、誠実さを感じられるところも、とにかく好きだった。目立つタイプではなくて、少し周りにいじられているような人だったけれど、だからこそ周りに好かれて、いい人であるという証拠だと思っていた。

それは付き合ってから離婚を決意するまでの12年間、ずっと思っていたかなぁ。

元夫と出会う前、中高生の恋愛ではあったけれど、何人かと付き合ったことはあった。今考えても、その人たちとは比べ物にならないくらい好きだった。

離婚はしたけれど、私の人生のうちの11年間は元夫との思い出であり、そこから学んだことも多くあった。だから、出会って良かったと思う。未練はないけどね。

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付き合っていた8年間

お互い旅行と野球が好きだったのでいろんな思い出がある

旅行はたくさん行った。12年もあれば日本国内だけでもいろいろな所に行ける。

今思い出せるだけで、北は北海道、南は沖縄の八重山諸島、四国、広島、岡山、一緒に住んだ大阪、東京、静岡の近郊。海外はオーストリアに行った。

大抵友人と旅行の話になると、一度は彼と旅行したことがある所だったりする。あまり飛行機では旅行に行かず、電車や車で旅をすることが多かった。大阪から兵庫ー岡山ー広島ー四国というルートで1週間以上かけて車で旅行したこともあった。互いの実家が静岡だったので、大阪から静岡に帰るときはいつも御在所というSAで交代で運転して帰った。SAにも随分詳しくなった。

彼は野球人だった。私は元夫の影響で高校野球、大学野球、プロ野球、など野球はなんでも好きになった。ルールに詳しくなりたくて、スコアを書けるようになりたくて、大学時代は野球部のマネージャーをしてみたり、明治神宮球場で売り子のアルバイトをしたこともあった。学生時代はよくプロ野球や元夫の試合を観に行った。社会人になってからも彼の草野球の試合や、高校野球をたくさん観に行った。

別れの危機は何度もあった

危機は何度もあった。どちらにも原因はあって、なんとなく別れずに続いていた節もあるかもしれない。

今思えば、元夫が何を考えているのか分からないことが過去にたくさんあった。

例えば、

  • 京都旅行に行った時、辻利に並んでいる最中、腹痛を起こしたのでトイレに行ったら、その間に順番が来てしまったということで怒られた(心配は?)
  • 沖縄旅行に行った時、何故かずっと無視をされた日があった。後にも先にも理由がわからない。
  • 鎌倉に遊びに行った時、沖縄旅行同様無視されて一緒に歩かずに置いていかれることがあった。これもよく理由がわからなかった。
  • 一緒に住むのは早いと言っていたかと思えば、来年あたり一緒に住んでもいいとか、結婚はまだ早いと言いながら、結婚の話をしたりとか・・・言うことが一転二転してよくわからなかった。

など・・・。何それ?っていうレベルだと思うが、当時の私は結構困ったものの、見逃してしまっていた。時間が経つと元に戻るので、放置プレイして目を背けていた。理由を聞いても教えてもらえなかったし、怒っていることは分かったけれど、どうしていいのかずっとわからなかった。

昔からそういったコミュニケーションが上手に取れていないことに気がついていたのに、私が我慢をすると言う形で蓋をしてしまっていたように思う。私も悪い。

今でこそこんな書き方をしているが、当時はそういうことは目を瞑ってでも元夫との関係を続けたいと思っていたのだ。

長年付き合っているということがステータスだと思っていた

ちっぽけなプライドを持っていた私は「誰かと長年付き合っていること」を最初から最後までステータスにしていた。

大学時代、この人いいなぁと思う人に数人出会った。この人と付き合えたらいいなって思ったけれど、特にそれ以上踏み出すこともなく、彼がいるのに何を考えているのだろうと思い直した記憶がある。

もちろん元夫のことが好きだったからいいんだけどね、チャンスは逃しちゃったかもなぁ。心のどこかで「長く付き合っているんだからこの人と結婚するんだ」というよくわからないプライドのような?意地のようなものがあったと思う。

最後の方は、好きだから離婚したくないのではなくて、長く付き合って結婚したのに離婚なんてとんでもないという考えを持っていたよね。悲しいことに。

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26歳で結婚して一緒に住み始めた

私の仕事が教員だったこと、静岡と大阪で遠距離恋愛をしていたことが重なって、3年生を卒業させるタイミングで退職することを決断し、同時に籍を入れることにした。

結婚式を地元の神社で行い、結婚披露宴も割と盛大に行った。あれはとても楽しかった。懐かしい。

私は大阪での仕事が上手くいかなくてメンタルを壊した

新天地、大阪。今でも好きな土地である。でも、当時の私は全く知り合いもいない中、夫だけが知り合いという状態で大阪に飛び込んだ。

私は、それと同時に国立大学職員に転職した。教員はワークライフバランスが崩れると思って大学職員へ転職した。正直、5次試験まである高倍率を通過しての採用だったので、一生国立大学職員をやるのだろうと思っていた。

しかし、1ヶ月で体調を崩した。完全に鬱病のようなものだったと思う。よく眠れるのは金・土の夜だけで、その他の日は眠りが浅く、何度も目が覚めてしまう。朝起きれば職場に着くまで動悸が止まらなかった。1ヶ月耐えれば治るかと思ったが、酷くなる一方だった。

原因は仕事内容だ。私は致命的に事務仕事オンリーの自由度が低い仕事に向いていないということがよく分かった。人間関係は良好だった。一日中窓口に来る留学生以外と話すことなく、ひたすらパソコンに向かう業務が限りなく苦痛だった。こんな仕事を一生続けるくらいなら教員に戻りたいと毎日思ってしまった。

当時の夫に相談をしても、他人事だったので1ヶ月でとっととやめた。体調は治っていなかった。

しかし、共働き前提で賃貸を借りていたため、すぐに公立の中学校の臨時任用講師に応募し、即採用された。大阪府でもとても荒れている中学校に配属された。仕事はとても楽しくて、やりがいがあったが、それに反して身体がおかしかった。眠れない、動悸が止まらない、ベッドから起き上がれない。契約期間いっぱいは頑張ろうと思ったが、契約期間終了1ヶ月前に、本当にベッドから起きても家のドアを開けられない状況になってしまった。

自分がメンタルを壊すなんて想定外。夫に相談しても当然心配なんてしてくれない。自分でなんとかしないといけないと思って、学校には頭を下げて途中退職させてもらい、1ヶ月休養した。その間に逆さまつ毛の手術をしたり、とりあえず失業保険の申請を行い、手当てをもらいながらリハビリのために家でできるアルバイトはないか考えた。

当時まだメジャーではなかった、オンライン家庭教師を始めた。教員経験を活かせるし、自分である程度スケジュールを調整できる。失業保険をもらいながらだったので、そこまで頑張らなくてもいい。1ヶ月休養した後、1ヶ月はオンライン家庭教師のみで元夫と同じくらいの額を稼いでいた。

だんだん心が元気になってきた頃、職業訓練校の存在を知った。実際は、私は職に就こうと思えばすぐ教員として職につくことができる。でも教員以外の職にはつけないかもしれないと思ったことと、また体調を崩してしまう恐怖感があったので、教員(情報科の免許も持っている)になったとしても、そうでなかったとしても役に立つであろうWebデザインのコースを受講してみようと考えた。

職業訓練校の試験を受け、無事に合格し、Webデザインを学んだ。夜はオンライン家庭教師をやって、充実した毎日だった。元夫はこの時の私をどのようにみていたのだろう。とにかく元気になった。

Webデザインを学び終えて、会社に実習に行く期間になる直前に、ちょうど私立女子中高一貫校で数学の先生を非常勤で募集しているという求人を見つけた。産休代替ですぐきて欲しいとのことで、給料も良かったのでそれに飛びついた。

通勤時間が電車で1時間の学校だったが、期間満了まで楽しく勤めあげた。そのまま次年度専任として働いて欲しいと言われたが、静岡に帰ることが決まっていたので断った。やっと働ける精神状態に戻ったと感じた。

少なからず元夫はこの期間、家事なんかろくにできない私の代わりに家事(特に料理)をしてくれていたと思う。それが彼なりの心配だったのかなぁなんて思う。当時はそう思えなかった。ごめんね。

静岡に2人で帰った

あまりに私の精神状態がよくなかったこともあったのか、元夫が地元に転職するとのことで、私は元いた職場に戻り、夫は地元の公務員として働くことになった。

私は嫌でやめた職場ではなかったので、楽しく仕事をできていた。まぁ、お局に嫌がらせはされていたけれど、大阪にいたときの苦しみに比べたらマシだったので、気にしないようにしていた。

元夫は元夫で、これまで学生時代から女性がいない環境だったところから、急に女性比率の高い職場に入り、楽しそうにしていた。学生時代のようなノリが気になっていたが、楽しそうにしている元夫を見て良かったなぁと思っていた。

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急に離婚したいと言われた

元夫の様子はそう言われる前からおかしかったんだよな。女かなとは思ったけれど、確証はなかった。

突然「離婚を考えている」と言われた。

「お前とはやっていけない」

「本当に好きな人と結婚したい」

「お前とは結婚したくてしたわけじゃなかった。自分の意思でしたわけじゃない」

などなど、ネットでもよく並べられている言葉を私も言われた。

一時的な気の迷いかなと思いつつ、仕事にかまけて家事を疎かにしていたので、元夫が望むように全て振る舞った。家事をして欲しいと言われたらして、何か買ってきて欲しいと言われたら買ってくる。どこかに行きたいと言われれば行く、そんな状態だった。

それでこの気の迷いが晴れるなら、別にいいかなと思って根気よくやっていた。

正直、元夫の親族の方たちにも離婚してあげてくれと言われた。私は家事をしない金遣いが荒い女なのだそうだ。元夫が望むような嫁じゃないから別れてあげてと元夫のいないところで言われたのだ。

仕事が充実していたから、家庭がうまくいかなくてもバランスが取れていた。それでも、静岡に帰ってきて最初の1年のうち2回だけ辛すぎて休んでしまった。頑張ったと思うよ、私。

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まさかの妊娠発覚

やることはやってたんかい。となるかもしれないが、なんだか体調が悪いな〜と思って病院に行ったら、まさかの妊娠。報告をどうしようか非常に悩んだ。

この嫌な期間を終わらせてくれる天使かもしれないと思って、元夫に報告した。

「それじゃあ仕方ないか。」って急に態度が変わった。何よ仕方がないって。と思いながら、この辛い期間が終わるならいいと思っていた。

でも翌日、「俺、妊娠のこと聞いて喜べなかった。人生終わりだと思ったんだよね。」って訂正された。だから堕ろして欲しいということなんだろう。

なんとなく、流産してしまうんじゃないかと早い段階で悟っていた。(なぜかは不明)なので、それを元夫に伝えた記憶がある。案の定、初期流産した。ホッとしただろうな、元夫は。

余談:新年にウイルス性胃腸炎にかかったのに放置された

この初期流産の翌週、ちょうど新年だったのだが、ウイルス性胃腸炎にかかって上からも下からもピーピーだった私。元夫に助けを求めたが、病院に連れて行ってもらうことも叶わず、脱水症状起こしながら必死に車を運転して病院に行った。病院でぶっ倒れて、3時間くらい寝かせてもらい、フラフラのまま運転して帰った。死ぬかと思った。おかげで治りが悪くて死にそうだった。

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元同期からの報告

私の職場の元同期メンバーで集まって、新年会をした。元同期のうちの1人は元夫とは違う職場だが公務員に転職していた。なんと元夫と何度か研修で顔を合わせていて、元夫の職場にたくさん知り合いがいるという。

「お前の夫、浮気していると思うぞ。ってかしてないとしても、お前の夫の職場は性的に乱れているし、もう別れた方がいいぞ。」

と唐突に言われた。

あ〜〜〜〜〜やっぱりね。と答えたら、私が知りたがると思って、元夫の職場からいろいろな情報を探ってくれたようで、相手の写真と名前が簡単に手に入った。何より一番腹が立ったのが、その相手が元夫のことを悪く言っていたLINEのスクショや音声録音を聞いたことだ。

元夫のことだから、浮気というよりは、勝手な片思いというか、現実逃避で私と正反対の女性に逃げているだけなんだろうと思ったが、まぁそれにしてもなんでこんな人なんだろうなぁって冷静に考えていた。

それと同時に、そこまでの1年間、自分は何で1人で頑張ってきたんだろうと思った。アホらしいなと。

とりあえず話してみた

その日に話したのか、次の日に話したのか忘れたが、夜その話を元夫にした。少し驚いた様子に見えた。

あくまで否定していたし、相手は自分のことを悪くいうような人ではないと言うし、もうそんなことはどうでも良かったんだけど、なんかこれまでの10年はなんだったんだろうなと思った。

私と過ごした10年を一瞬にして否定するくらい素晴らしい人なんだったら納得できたけれど、元夫を悪く言う女なのか〜なんて考えていた。いや、素晴らしい人だったとしても、人としてダメだろうって思うけど。

自分がなんのために今ここに存在しているのか、結婚して幸せな家庭を築きたかったんじゃないのか。とかいろいろ考えていたことを覚えている。

とりあえず、やり直す方向に話が向いた。

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少しやり直そうという努力はあったもののすぐ元通りに

数ヶ月、歩み寄ろうという期間があった。あ〜良かったと思う一方で、どうせまた4月を迎えて私の新年度の激務が始まったら元通りになるだろうなという予想があった。

まぁ、そういう予想は当たるのである。

ものの見事に元通りになった。

一生忘れられない北海道旅行

私たちの共通の友人が北海道で結婚式を行うということで、私は文化祭前の忙しい時期に休みを頂いて、北海道旅行を兼ねて2人で北海道に行くチケットとホテルを予約してあった。(早めに)

ちょうどその北海道旅行があった時期が、文化祭直前、しかも1年生ということで激務中の激務の時であり、家事も疎か、家に帰るのも遅いという状況だった。そういう時ってさ、早く帰った方がご飯を作ればいいと思うし、家事をやればいいと思う。できなければ外注でもいいし、サボったっていいと思う。それが私の考えです。

元夫が何に腹を立てていたのか、はたまたまだ例の人が好きだったのか、新しいのが出現したのかなんてもうその頃にはどうでもよくなっていて、なんかまた家の中で無視されたり、勝手に別の部屋に寝ていたりしたけれど、とりあえず純粋に北海道旅行は楽しみたいな〜と思っていたのです。

まぁ無理ですよね。

羽田空港までの運転はなぜか私。早朝だよ。

空港で高校時代の共通の友人に出会うと、私を置いて何処かへ行ってしまう。私のことは無視。近くに行けば迷惑そう。でも飛行機は隣なので一緒に乗る。ついてから、電車で高校時代の共通の友人と行動していたが、その子に気を遣わせてしまう始末。本当に子供だなと思った。

結論から言うと、2泊3日で行った北海道旅行のうち、80%はひとりで旅行した。2人で出かければ元夫の機嫌を損ね、何も面白くなかった。ここでも昔からお決まりの私を置いていくスタイル。もう1人で楽しむことに慣れすぎました。

正直、仕事に行った方が楽しかった。行かなければ良かったと思ってしまったと同時に、あぁもうこの人とはダメだな、離婚の準備をしなければいけないと強く決意させてくれた旅行だった。

ちなみに羽田空港からの帰りも私が運転した。夜中なのに。キツかった。

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家庭内別居本格化

元々元夫はほぼ家庭内別居にしていたつもりだったと思うけれど、私が話しかけたりしていたので微妙な感じだった。でも、北海道旅行を機にもうどうでもいいかなぁと思い始め、元夫はリビング、私は寝室を自分の部屋にして、もう何もかも別で生活をした。

正直、この生活はとても楽だった。一人暮らしのようなものだし、自由に生活できる。もう何も考えなくていい(と言うのは少し違うが)。永遠にこの生活ができそうだと思っていた。

ここからは本当に好き勝手生活した。

夏〜秋にかけて、高校野球の夏大会、秋大会を全部1人で観に行ったし、愛知にいる妹に会いに行ったり、友達と旅行したり、会うのを我慢していた友達や先輩にひたすら会いに行った。そこで私は離婚するからこの名字で会うのは最後ですと笑い飛ばしたことも懐かしい。

結局、仕事が充実していたからできたことだった。この時のクラスの生徒や学年の先生、相談に乗ってくれていた先生にはとても感謝している。仕事をしている時は全てを忘れられた。

29歳で離婚することに対する不安

この頃には、好きだから離婚したくないのではなくて、結婚して、子供を産んで、育てて、という普通の人生を送れなくなることに不安と恐れを抱いていた。

離婚したら生徒たちの反応は?同僚の反応は?世間の目は?お祝いしてくれた親戚や友達からの目は?とそれしか考えていなかった。

自分がいわゆる「普通の人生」を送れると思っていたので、そのギャップに苦しんでいたように思う。

ちょうど周りの友人も結婚したり子供を産んだりしていたので、余計に苦しんでいたかもしれない。

でも、大学院時代の先生にそんな話をした時に、「挫折だねぇ。でも29歳ってまだまだ若いよ。ここでキリをつけた方がいい。」と言われたのが何度も頭をよぎって、まだ普通の人生を送れないとは限らないと思い直した。

離婚したら、何をしたいか?を考えた

自分の中で、離婚をして、その時の職場で働き続けるという選択肢はなかった。なぜなら、お局の嫌がらせがひどくなってきて、わざわざ残っても自分が幸せじゃないと思ったからだ。本当に好きな職場だったがそれだけが本当に嫌だった。

だから、離婚したら自分がやりたかったのに我慢してきたことをやろうと思った。すぐに浮かんだのが、

海外に住むこと

である。

中学時代にアメリカに行ける機会に応募して落選、高校時代は英語は絶対将来使えるからと勉強して、大学は英語と数学に強い津田塾大学に進学、交換留学をしたいと思っていたが、当時付き合っていた彼氏(元夫)を考慮して応募すらせず。教員になる時も、在外教育施設や公立学校で英語で数学を教えるような採用を受験し、内定をいただいたところもあったが、結局地元就職してしまった。

という経緯があったので、在外教育施設の選考を受けることに。

そして無事内定をもらった。

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離婚届を淡々とかいた

転職先が決まったところで、離婚届を書いて元夫に渡した。

もう自分の新しい未来に向かって進むだけという気持ちになっていた。

長かった。この記事に書ききれていないけれど、2年間ほど毎日悩んだし、関係を改善しようと努力した。話し合いもしようとしたし、歩み寄ろうと精一杯やった。でももう無理だと思った。

ここでまた関係が戻るわけがないと。どうせすぐ崩れてしまう関係なんだから。

元夫がなぜか掌返したような反応をしてきた

散々離婚したい、もう無理、といって率先して家庭内別居をしてきた人が、なぜか離婚したくないと言ってきた。意味が分からなかった。もう遅いよ。響かないよ。

急に話し合いをしようとしてきた。私、散々話をしようとしてきたのに取り合ってくれなかったのはあなたでしょう?なんだろう今更。

私の気持ちは北海道旅行で切れてしまったのに、その後もそれなりに歩み寄る機会を作ろうと努力はしたんだよ。でもそれを蹴ってきたのはあなただよ。

私ではなくて、もっといい人がいるよ。私ではあなたのことを理解することができなかった。ごめんね。

だから断った。

余談:こんな時期にインフルエンザにかかった元夫

離婚届を書いた後すぐにインフルエンザにかかって寝込んでいた夫。

家庭内別居だったから、すぐには気づかなかったけれど、同居人として病院に連れて行って、最低限の看病をした懐かしい思い出。

私は病気をしてもいつも1人だったな。結婚生活ってなんだったんだろう。総合して寂しかった。

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そんなこんなで離婚成立

思っていたよりも長くなってしまった。

私だってね、離婚したくて結婚したわけじゃないんですよ。

好きだったから結婚したし、まさか自分がこういう人生になるなんて思っていなかった。

この人(元夫)と幸せになるんだろうな、子供は何人だろうとか考えていたわけです。

相手が悪かったようにしか思えない文章かもしれないけれど、いい思い出だってたくさんあるし、一度は家族になった人だから、幸せになって欲しいと思う。

きっと相性が悪かったんだと思う。私は私で精一杯頑張ったんだけど、きっとベクトルが違ったんだと思った。

もっと早く離婚すれば良かったとは思ってない。2年間自分なりに努力したこと、歩み寄ろうとしたこと、苦悩したこと、仕事を両立したこと、いろんな出会いがあったこと、など全部必要なことだったと思う。

相手の幸せを祈れるようになるまでかなり時間がかかった。

やっと祈れるようになったからこそ、この記事を書いた。

私も幸せになりたいな。

終わり。

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